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■宮島名誉会長 第78回提言エッセイ 「世はあべこべ」
(平成17年3月28日掲載)


「世はあべこべ」
平成16年12月17日
宮島 龍興
(社)日本教育工学振興会名誉会長
  

 世はあべこべ。勿論あべこべとは物の道理に合わない事を言う。世の中ではうっかり気づかない場合もあるが、敢えて気づかない振りをしている場合の方が多い。さかさまupside-down、裏表inside-outは類語。
 世の中のあべこべは、例えば:

1.あべこべ:「3時間3分」
 3時間待つ病人、3分診療する医師。その上病人には往復の通院の苦しみ。足腰が弱れば通院も苦労で治療もままならず、治療の為には入院しなければならないほど大袈裟な事にもなりかねない。
 このあべこべが、世界に誇る長寿を達成した我が国の医学と保険制度の別な半面である。
 あべこべを避ける理屈は簡単で、病人が走らなくてすむ事にすれば良い。まず近所の適切な開業医を病人の主治医として真先に責任ある位置に置き、必要な時は他の専門医の協力を求め、大手術等それ以上の医療だけを大病院へ紹介する。これら全体が医療網を形成して患者に対応する医療体制を造る。勿論これには医療網の配置と経済と運営を合理化する必要がある。
 今は最高の医療を万人が平等に享受でき、僻地や貧乏の人は黙って死ねの時代からみれば、大変革であることは間違いない。平等と最高は大切な条件であるが、も一つの大切な条件が忘られていた。
 その条件は温かい「人情」である。病変があるのは特定の器官であっても病むのは病人である。医師の目が病人の顔色より検査dataに向いているのにはがっかりする。以前は掛かり付けの医師があって、普段から何かと気に掛け、病気の際にはすぐ駆つけて治療して下さった。しかし平等と最高からは遠かった。
 我儘さえ言わなければ、平等で最高で人情の医療は国民健康保険の制度内で出来ない筈はないし、そうすべきだと思う。英国で暮らした一年間に外国人の私にも国保が適用され、ある開業医が私の主治医として一切の医療の配慮をして下さった。経済的にどうだったか、現在はどうか、当時まったく無知で申し訳ない。然し、人情と知恵と慎みがあれば、あべこべでない医療制度は決して経済的にも無理ではないと思う。
   病気の時は病人が主人!

2.あべこべ:「働き盛りには働くな」
 大学院まで誰でも行ける様になって、教育が高まるのは結構だが、本気に社会で働くのが大抵三十代からと遅くなりそうなのは如何なものか。働き盛りを働かないで、盛りを過ぎてから働く。あべこべである。
 義務教育の間は殆ど社会から隔離されて勉強するのでは、多感な成長期の貴重な体験の機会を奪うことになる。これもあべこべである。
 人の体力や知力は年齢域で違う。体力や知力に個人差があるのは当然だが、平均として十代から三十代の間は最高であろう。もちろんMozartのような天才は幼年期から花開くし、碩学は老いて益々輝くから、個人を平均に押し込める事は慎まねばならない。
 子供はまず家庭内や地域内で暖かく育てられながら、感性や生き方や物の道理を身につけ、社会の一員として小さな役ながら自己の役割や責任を受持ち、その中から自分の興味や職業を見出して成長して行く。これがどこの国でも教育の始りであった。読み書き算術や芸事や商売や技術の初歩など早い内だと身に付き易いし、どんな世渡りをするにせよ、社会にも本人達にも為になると考えて、生活の時間を少し割いて寺子屋のような学校がはじまったのは、人間の歴史ではそう古い事ではない。然し同じ教育を押付けられて、好きでもない事を、将来のためと言われて喜んでやる子供がどれほどいるか。子供には学問より好きな事が一杯ある。
 途上国日本では明治以来追いつけ追い越せの時代になって、義務教育がはじまり、世間から隔離された学校という場所で、無差別に同じ学習をさせるようになった。同様な現象は今では世界中に広がっている。当面の目的のためには、確かに効率的であろう。然し優れた個性を持った人々の可能性を潰して社会の大損失にならないか。感受性の強い時期に学習するのは良いが、他方では嫌いな科目を強いて学習への意欲を失わせ、自然や社会の真実に真剣に触れる機会を奪い、自由な発達の可能性を摘んで仕舞う。このごろ体験学習がもてはやされているが、無責任な一時的体験と、初歩的でも責任のある仕事に従う事との差は決定的であると思う。
 憲法は国民には働く権利と義務があると言うが、正に幼児から高齢者まで、すきな時にすきな仕事をする中にこそ学習も人格完成の機会もある。
 大学院も高度の研究も結構だが、単線的に学ぶのでなく、人は夫々の仕事と学習とを自分流に配分しながら、幼児から高齢まで、めいめい充実した一生を生きてゆくようになると良いと思う。それでこそ喜びにあふれた社会になろう。 
   教育では学習者が主人!
      子供から働く喜びを奪うな。
      働き盛りには思いきり働け。
      老人を仕事から排除するな。

3.あべこべ:「経済成長は不景気」
 経済が成長すれば景気がいいと言うのは、今では怪しくなっている。狭い地球では人口にも生産にも自浄力にも限界があって、温暖化や地球汚染に代表される地球破壊が加速度的に近づくのは明らかである。すぐに石油の放漫な消費をやめ、安全なenergy源に切り代え、完全recycle社会へ転換しなければ、取返しできなくなる。従って今は人口や経済の増加が不景気であると言うあべこべの時代である。
 人も老齢に進むにつれて次第の頭も体もボケて行くのは自然だから、それを誰もホンワカと受けとめれば良い筈である。しかし心と体のボケ方が釣合わないと、力は弱くなって行くのに骨だけはかさばる様な不都合が起こる。心と体を釣合よく縮小して行く医術はないものか。段々可愛くなっていく年寄りは、心と体の不均衡も縮小されて幸せではないか。寝たきりになっても、小さければ介護が楽だろう。
 人類も欲望と知恵にまかせて地球をいじめて、今では色々の不具合や、環境の破壊が進み、地球が壮年期から老年期に差しかかっている。やがて死期がくるのは目に見えている。年齢を少年期に戻すことは無理としても、せめて人類の活力を釣合良く安定か減少させる事を真剣に考える時である。然し前に述べた年寄りの体を縮小する話より、人類活力の上手な安定や減少はもっと難しいかも知れない。したい事をしない勇気がなくてはできない。経済の安定期や減少期に却って希望と幸福を見出す知恵と力があるだろうか。減少期の経営は人類の試金石である。 
    今後は地球が主人!

4.あべこべ:「氷河期が近いぞ」
 温暖化がかしましいが、あべこべに氷河期が近いぞと言う声がある。最後の氷河期が終わったのは古い事ではない。それまでに4回も氷河期があった。今は間氷期で、いつまた氷河期が来ても不思議はないが、人類の地球破壊が早そうな気がする。どこかの研究機関でsimulationをやっているそうだが、正確なdataが得られないから予想は不可能である。
 これだけ文明が進んでから氷河期に出会ったら、前回に比べて被害は想像を絶するだろう。マンモスmammothなどのように大方絶滅するだろう。緊急な避難計画など有効な予防策は至難の業だろう。simulationをせめての手掛かりに出来るだけ安全な策を今のうちに考える以上の事は難しいかも知れない。
  地球の予測が出来るcomputerは地球だけ!

5.あべこべ:「憲法と安保」
 憲法で武力放棄などカッコいい事を言って、実は安保の名で他人の武力を当てにする。核に守られながら核反対を主張する。あべこべどころか、自己撞着、精神の堕落、人格の破滅、大人のやる事ではない。こんな事を続ければやがて自滅である。今すぐやめなければいけない。
 武力を絶対悪として戦争放棄を本気で続けるなら、安全を守る為には全世界に安全条約締結を求める命がけの交渉をするしかないであろう。全国民一丸となってあくまでやり遂げるなら立派だ。然し全世界が真面に相手になってくれるかどうか。
 これが出来ないのなら、武力は悪だが必要な時には止むを得ないと言う国際並の考えを正直に表明して、自分の身は自分で守る生物の原理に戻る以外に道はありそうにない。戦後は苦しくてばらくは自衛出来ないから頼むと言う安保なら、復活したら直ぐお断りするのが良心ではないか。それを頬被りして、いつの間にか日米同盟とは、開いた口が塞がらない。
    あべこべもいい加減に願います!
 
6.あべこべ:人類は不適者
 「はだかの起源」不適者は生きのびる 島 泰三著、木楽社はDarwinへ反対の主張である。四角な頭を丸くするには良い話である。著者はDarwinの適者生存説の完全な否定であると主張する。それもいいだろう、大物に反対すれば本も売れるだろうし。
 突然変異で丸裸がうまれた。気候の変化に弱い筈の人間が氷河期を見事に乗り越えた。だからDarwin説はあだめだと著者は言いたいらしい。
 私は考える。人間は裸でも大きな頭脳を持って生まれた。それを利用して着物で着飾りと楽な家を発明して、不利な気候や環境を凌いで、出会った氷河期でさえ乗りこえた。裸と頭を合わせれば人類はやはり適者であったと言える。適者の意味の問題である。屁理屈で喧嘩するにもあたらない。
 それにしても「裸と頭」で人類が適者になったとの考えは面白い。あべこべも捨てたものではない。
    適者とは生存した者を言う。
    進化とは生存する事を言う。
これは無意味な A=A に見えますが、生存のためには形質の遺伝もあるが、加えて文化の伝承も役立つとすれば、あながち無意味でないかも知れない。要するに生存が進化であるが、進化は生存の継続を意味しないと言う事である。
 生存は進化であるが、進化は生存ではない!





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